昨日まで輝いてたものが急にダサく見える、というか急に自分の世界から消えるみたいなことがよくあって、徐々に興味がなくなるっていう過程やグラデーションがなくて、朝目が覚めるとゼロ

燃えてたことがなかったことになる、じぶんの情熱がどんどん極端になってく

ものによるんだけどね

例えば今食べたいものが全然ない、ご飯が大好きなのに、お腹も減るのに、食べるとベロが痺れる感じするんだけど、なんなんだろ

それと着たい服が全然ない、手元にないしお店行ってもない、なんかキモくて無理

なんか何かに絶望してるわけでもなく、特に嬉しいことがあるわけでもないんだけど、すべて特になんでもいいです、みたいなバイブスがここ数週間続いてて不可解だなって感じ

不思議だな、今までにないな

じぶんが誰かに向かって喋ってると喋りながら意味わかんねーこれじゃ伝わらねーって思うけど多分違って、考えが追いつく前に喋ってると思う、タイムリーに考えることに手を抜いてるというか、その場ではすごいなんとなく会話して、あとからゆっくり考えればいっかみたいな、反射神経が足りてないんじゃないか、コミュニケーションの本番で全然気合が入ってないんじゃないかって感じする

書いてて思ったけど、森脇ひとみさんも同じようなこと言ってたな、おはようと言われてその場でおはようと挨拶が返せる人はすごいと、それは反射神経だと、て言いつつも結構内容が曖昧だし、感動しても内容忘れてなんとなく放出するの変えたいと思うところ

最近夢の中で平泳ぎしてるし、ずっとバレエ踊ってる

たまにインスタグラムに投稿するたびに捨てきれてない虚栄心みたいなもの自覚してしんどいんだよな
いい加減そのステージから降りたい、全然何とも勝負したくない
ツイッターが好きだけど、文字数多くてもうるさい感じがしない人、文字数少なくてもうるさい感じがする人がいて、その中でも自分はばりばり後者だと思っててそれもまたしんどいんだけど、毎日生きてるだけで言いたいことがあふれかえってきて全部言葉にできたときは最高です 頭の中が忘れたくないことだらけ
何の見栄も張りたくない、自分に起こることをすべて一度認めたい、というか認める
友達や恋人や上司に、いい匂いのするグッズ貰うこと多い Aesopのハンドクリーム、アメリカのホテルのアメニティの石鹸、チェコのお土産のハンドクリームと石鹸 嬉しいです

祖父が2ヶ月の闘病の末に亡くなった。一昨日10/11木曜日の朝のこと。集中治療室に移動しておよそ2週間が経ったタイミングだった。

見舞いには5回行った。1度目は転院前、祖父の地元の病院。体調不良の原因が不明で検査が続いていた折だった。微熱が続いていてだるいといってた、目が充血してたことを覚えてる。あの時、会話ができる場所に移ろうかとじいちゃんから言ってくれた。みんな用事があるから断って帰ってしまった。

原因が分からず、症状も悪化する一方で、大学病院に転院し、より詳しい検査と治療を開始することになった。見舞いに行くたび弱ってく、チューブに繋がれて苦しそうに息をするじいちゃんを見るのは堪えた。見たくなかった。それでもばあちゃんと母さんは毎日通った。

一度じいちゃんと2人で病室で過ごした日があった。午前の2時間半だけだったが、病室で過ごす時間の遅さに驚いた。その時じいちゃんは、なおちゃんがいるからかっこ悪いところは見せられないと言って気丈に振る舞った。じいちゃん毎日退屈じゃねと言ったら、毎日部屋の天井を眺めてると頭が狂いそうになると言った。検査の末に疑わしい病名がわかり、その前週から投与を始めた、使用するのに同意書にサインをした新薬を点滴しに看護師がやってくると、これで明日からピコーっと効かんかね、と言った。そのあとじいちゃんとうたた寝した。冷たい水をストローで飲ませてあげた。

会話ができたのは結局それが最後になってしまった。その後は透析中に意識が無くなり、集中治療室に移った。ドラマのセットのような無機質な部屋の中心に普通に寝てるようだった。アンモニアの数値が高いため意識障害を起こしているとのことだった。天井は高かった。

人工呼吸器を使用してた。それでも人工呼吸器を使用し続けることで別の疾患を引き起こすため、2週間後にはその機器を引き抜く必要があった。自発呼吸はほぼしていないという数値だった。呼吸器を抜けば呼吸ができない状態だった。気管切開という手もあったが、ばあちゃんたちは延命治療はしないというじいちゃんの意思を汲んで、自然の成り行きに任せるという決断をした。意識不明の状態であったが、ばあちゃんや叔母が声をかけると反応するようなことがあるようだった。

その約1週間後、危ない状況にあると親族が集められた。肌が黄味がかり、頬がこけて、しんどそうに荒い呼吸をするじいちゃんがいた。片目が開き黒目が濁っていたが、それでも動いていた。なにかを喋り出しそうな様子だった。意識が無い、意識不明とはどういう状態のことなのか理解できなかった。目を見るとつらかった。

そこからばあちゃん、父さん、父の兄弟、母さんが交代しながら病室に泊まり込んだ。呼ばれた日の夜と、翌日一日中だった。その間ひでくんが言うことを聞かずに怒鳴った。怒鳴るほどのことでもなかったのに。

一昨日は会社も朝から休み、一度帰宅した母とパンを食べながら当日の動きを確認してるとき、父から連絡があり、もうかなり厳しいと来た。連絡を受けて母が急いで飛び出した。私も急いで身支度をした。ヤクルトがヤクルトを売りに来た。2パック買った。道路が混んでた。いつもより時間がかかったが、誰からも連絡がないためまだ大丈夫だと思っていた。待合室に着いたら母が泣いてたので間に合わなかったらしいことがわかった。それでも間に合って息をひきとる瞬間を見届けられる自信がなかった、ホッとしているところもあった。

身体を綺麗に拭いてもらったじいちゃんに会いに行った。まだあったかく、苦しそうな姿しか久しく見ていなかったので、楽そうに見えた。口が開いていた。じいちゃんと私たちのこの間にある境界はなんだろうと思った。息をしてないことだけがただ一つ違いとしてあった、でもとりとめのないことのような気もして、2日前の夜よりも落ち着いていられた。

苦しく痛い時間が長かった。症例の少ない難病で、不安がどんどん堆積していった。それでもじいちゃんは頑張って耐えた、ばあちゃんも頑張って全員頑張った。大変だった。

慌ただしく通夜と葬儀が終わり、熱が出た。怒涛だった。体験したことのない状況のなかで、頭がいろんな疑似体験を引っ張り出そうとしているのを感じた。これまで触れてきた映画やドラマや小説や漫画や音楽のなかで、当てはめられそうなシチュエーションをフィルターにかけて抽出してる感じだった。これがわたしには未体験の状況を乗り越える方法なのかと思った。自分の引き出しから自分の支えになりそうなアイデアを引用してつぎはぎしている。でも今はなるべく無機質なものに触れていたい。

就活するにあたって予想してた通り留学について聞かれることが多くて、自分にとってそれがどういう経験だったのかってことを半年経て思い返してみると、まあやっぱり分からなかったし何をして過ごしてたのかも既に半分以上わすれてた。このブログも初めのうちはこまめに書いてたのも途中で嫌になってやめちゃってて、当時の自分には最後の記事を書くのが限界だったんだろうけど、今読み返してみるとまあ色々思い出せるし確かに自分が留学してたってことのかけがえのない記録になっていてそれなりに面白くて、続けてて良かったなと思った。

今日内定を貰った。内定を貰ったら一番にkさんに報告しようと決めてたので連絡した。自分のことのように嬉しいと言ってくれてすごく嬉しかった。

最終面接の中で社長に、コミュニケーションは毎回穏やかに終わる訳じゃないし、むしろ噛み合わないことや腹立たしいことの方が多い、理想を持つのは結構だけど分かり合える人ばかりを相手にする訳じゃないことを理解していた方が良いよと言われた。マジでそうなんだろうなと思った。多分世の中には圧倒的に分かり合えない人のほうが多いんだと思うし、自分はそういう人と衝突してしまった時に感情的になるし気持ちを整理するのが下手だと思うから、苦労するだろうなと思った。自分が社会的に立場の弱い人のことに興味を持つのは、誰より自分がそこに持っている偏見を拭いきれてないからだと思う。そのことが自分で悲しくて許せないから勉強しなくちゃいけない。納得できるところまで考えなくちゃいけないなという気持ちでいる。

就活して色々感じたこと。


週末遊び続けて風邪をこじらせてるから、この土日はずっと家にいようと決めた 父が珍しく薬を買ってきてくれてだいぶ喉の腫れがひいてきた ありがとうと思う

昨日天使なんかじゃないを読んだ 何回も読み返してるけどありえないくらい泣いた 改めて読むと晃が超いい男だーね 強引で荒っぽいけど賢くて優しくて、無邪気でちょっと暴走気味な翠ちゃんを笑って受け止める男、器がでかいのよ これってほぼ私のイメージする千鳥の大悟じゃんと思った 浮気性なところは晃と似てないけど

常々思うのは、前向きな人は最高 悲観的な人と一緒にいると誰だって気が滅入ると思うから 先々週くらい相当参ってたとき、自分がこんなにも悲観的になってしまう原因を考えてみてたら運動不足が思い当たった 大体アスリートで手がつけれないくらいネガティヴな人ってあんまりイメージがない そのスポーツをしてるが故に生じる悩みはもちろんあるとは思うけどそれはとりあえず置いといてその人の持つ気質の話 例え本質的にネガティヴな人だとしても、スポーツの最中、走ったり身体を動かしてるその瞬間にエゲつなく悲観的ななにかを考えてる人ってなかなかいないと思う (居たら居たで面白いとは思うけど)瞬間瞬間、断片的だとしても自分のネガティヴを忘れられるのだとすれば、断片的が続けば断続的になるのだとすれば、運動は身体だけじゃなく気持ちのバランスを取るために必要なんじゃないかと思う というかそう思ってバレエ教室の体験を申し込んでみた 今週の水曜 楽しみだな

あーなんか眠くなってきた


punpeeの新しいアルバム もうみんなのクラシックで、私のこころのさりげない金字塔になった 

聴いてて何度も大切な事を言ってるなと思う 特に痺れるところ 「君は僕で 僕は君なんだ 分かったら捨てるんだ こんなCD」ってところ 

あなたと私、私とあなたが別であること

私は私で、あなたはあなたであることは目に見えること

でも私はあなたで、あなたは私でもあるんだという感覚が、私は大切だと思ってて、それがどうして大切なのかはやっぱりよくわかんねーだよな 

それでもPUNPEEがそうラップすると私も考える 足が止まる 

私はあなたであなたは私 私は私であなたはあなた どちらでもある 共有も共感もある それができないものもある 想像してみるけど間違ってることがほとんど

金曜日、飲み会に誘われなかったらしい でも喉痛いし ってこと 別に抜きとして これからを楽しむ人たちの合間を縫って帰ってゆくの これは豊かだと思う 豊かさとはなんでしょう 自分の選択をできること 

でもほんまに喉痛い いつ治るんだろ


突然にあえなくなる
明日からあえなくなる
あなたとはあえなくなる
望んでも

あなたは風になる
目に見えぬ風になる
一番に求めた場所
風になり行ったでしょう

おかしいやつと笑わないで
なんだか少し恥ずかしい
あなたには何もかもみえてしまうから
今はもう あなたの場所から

忘れずにいることは難しい
想ったよりも
でもだから怒らないで
思い出したら
微笑んで

さよならあなた
もう会えないから
今日から隣で
思い出したら微笑んで
わたしの隣で微笑んで

 

こんな信じられないくらい悲しくて綺麗な歌に出会うのはいつも映画の中でのような気がする

のぶくんに勧められて観た転校生がすごく不思議で、綺麗な映画だった